元V系メジャーアーティスト武道館でも演奏
「DAIGO」や「シド」というバンドはご存知ですか?
有名なアーティストですが、当時は彼らと一緒にイベント企画したり
全国をツアーして回っていました。
ルーツは中学校時代。
当時は世代的にはBOOWYやブルーハーツが主流で、めちゃくちゃ憧れてたんですね。
中2の時に3万円を握り締めて、横浜の「石橋楽器」でロックギター入門セットを買って。
店員さんに
「これで今日からロックギタリストだね」って言われた時、嬉しかったな。
高校時代に「バンドやろうぜ!」って雑誌の企画に
デモテープを送ったら受かっちゃって、
新宿の「ニシンパワーステーション」でライブデビュー。
新宿のライブハウスに出たとなると学校でもちょっとしたニュースになり
私たちのバンドはキャーキャー言われだすわけです。
その後、全国の高校音楽祭でも関東代表になり最終的に準優勝。
その頃に「プロになりたいな」と思うようになり、
気がつけばメジャーデビューし、武道館でライブしてました。
でもデビューして2年目ぐらいのある時、事務所がつぶれちゃったんですよね。
バンドやめた直後は借金だらけ
プライベート事務所を作ってメンバー内で担当を決めて運営をし、
全国活動したりCD出したりしてましたが、疲れきって解散。
違うバンド作ったりもしたのですが感覚的には「落ちてく」毎日。
冷静に考えた時
「全盛期には絶対に適わない」
と悟ったんです。
渋谷のボックスって所でワンマンライブをさせてもらい、バンドを解散。
私はここで音楽とは完全に決別し、次の人生を考えはじめます。
だけど正直メジャーにいった経験があるとか、一般サラリーマンの世界には関係がなく
34歳の自分なんかをマトモに使ってくれる所なんかあるわけがないと気づいた時・・
絶望しました。
すごい絶望した。
音楽以外のこと、何もやってこなかったし
出来るとも思わない。
ほんとに自分は何もなくなってしまったんだと。
道端を歩いて道路のわきに生えてるたんぽぽを見ると涙が出てくる。
そんな精神状態までおちてましたね。
何かやるしかない自分でやるしかない
で、もう、自分の思ってること全部書き出してみようと思って
大きなスケッチブックみたいなのを買ってきて、書き出してみたんです。
その中に、こんな言葉がありました。
輸入
ミュージシャン時代、いらない楽器をヤフオクで売ってお小遣いを稼いでたんです。
楽器屋さんに行くと安く買い叩かれるような、箱や説明書がないギターが
ヤフオクだといい値段で売れた。
そうこうしてるうちに海外のeBayってサイトを知り
とてつもなく安く買えることが分かったんですね。
以降、ちょくちょくお小遣い稼ぎをしてたのですが
「これをちゃんとやれば、メシ食ってく程度は稼げるかもしれない」
と閃き、私は「輸入」の道に入るのです。
が・・・
今でこそ「輸入転売」に関する色んなノウハウを色んな人が語ってますよね。
しかし当時は情報なんて本当になかったんです。
そんな事情もあり自分1人じゃ絶対無理だと思ったので、どうにか先生を見つけて来て
連絡をして最初に話したとき
「簡単ですよ」
なんて言われ、当時の感覚したら「そんなことないだろう」と思ったのもつかの間
当時はノウハウも出回ってなかったし誰も手をつけてなかった分、
ほんとに簡単だったんです。
ヤフオクとeBayを見比べてるだけで、1万円くらい利益出るものが
いっぱいあった。
しかも当時の私からしたら1万円って相当の大金ですからね。
それで、おもしれーってので、のめりこんでって。
特に面白かったのが「速いこと」
バンド活動ってメンバー間の意思の伝達が大変で
何かひとつ変えるだけでも大仕事なんです。
けど輸入だと、例えばヤフオクなら少しページの言葉やデザインを変えるのも
自分ひとりの裁量ですぐにやれる。それが翌日の売り上げにすぐ反映される。
このスピード感!はやい!おもしろい!
のでどんどん作りこんでいって、どんどんのめりこんでいきました。
失敗!失敗!失敗!!
でもスタートダッシュは良かったものの
その後は失敗の連続。
例えばこの業界ではeBayから仕入れる欧米輸入と、
アリババから仕入れる中国輸入というものがあります。
で、物理的に大きな商品はeBayだと航空便で、アリババだと船便で届くのですが
アリババからの商品は「港につきました」ってファックスが来るだけなんですよ。
どうしたらいいか分からずそこらじゅうに電話して
やっとそれを運ぶ手段が分かり、運べたはいいけれど当時の自分の部屋中が
荷物だけで埋まっちゃうって事態になったりしていました。
そしてある頃・・・
中国から輸送されたはずの荷物のファックスが、3週間たっても4週間たっても来ないんです。
関税に止められてたんですよね。
知的財産権の侵害の疑いがあるということで。
何よりショックだったのが
関税で全部燃やされちゃったこと。
知識がついてる今と違い、何も知らない当時は
「逮捕されちゃうのかな?」なんて怖くなったりしてました。
めちゃくちゃ絶望してしまって、半年くらいやめちゃうんですよね。
けど今思えば、これが良かったのかも知れない。
一度全てがリセットされたことで、次のトライ時に「構え」が変わったと思うんです。
そしてひとり貿易へ
しばらく普通の営業職をしていて
それはそれで面白かったんですが
ふと思ったんです。
「なんのために音楽やめたのかな?」
それで「輸入しかないな」と思いこの世界に戻り、
そこからはもう、快進撃です。
まず、ヤフオクはもう飽きたのでネットショップを自分で作ってみることにしました。
ネットショップを50個くらい作ったら、30万円くらいの利益は出せるんじゃないか。
という計画の下、どんどん作っていきました。
そしたら6個目か7個目のサイトで
レゴのカメラの可愛い感じのやつを売るショップが当たったんです。
ある日テレビをみてたら「笑っていいとも」で俳優の瑛太さんが
最近の自分のお気に入りってので、それを紹介していて。
うちのショップ売れてんじゃね?と思いPC立ち上げたら、
なんと300件の注文が!
しかしこの商品、なかなか日本では買えず
「待ち」が発生する間にキャンセルが入るようになり
それが本当にイヤだった僕は考えたんです。
じゃあ、いっぱい特典をつけようと。
日本語の説明書をつけたり、関税保障とかもやって、
使い方わかんなかったら電話サポートしますよ、みたいなのをはじめました。
また友人にカメラマンがいたので、その友人に商品のカメラを渡して
「プロのカメラマンが教えるカメラを10倍楽しむ方法」
というレポートを作り、うちで買った場合に特権として配ったり
漫画家のアシスタントをやってる友達に
「子供でも分かるカメラの使い方」って漫画を描いてもらって
同じく特権にしたりしてるうちに「特権だけ買いたい」とまで言われるようになって。
お陰でキャンセルもほとんど出なくなったんですが、
この時に「付加価値をつけて差別化をすれば自分のとこで買ってくれる」
ということに気がついたんです。
それは現在から見たら比べるまでもなく小さな仕事ではありますが
これが私の武器になり、やがて今やってる「ひとり貿易」へと繋がって行くんですね。
原点
そんな私ですが、
実は社会とコミュニケーションをとるために
「まじめに輸入ビジネスを研究する会」
みたいな活動を
自分の会社とは別の社団法人にまでしてやってるんですね。
それはバンド活動にも通ずることなんですが、
僕は生まれつき体も大きかったし
幼少期は自然と「いじめっ子」になってたんです。
「いじめられっ子」じゃないですよ(笑)
「いじめっ子」です。
でも「ガキ大将」なんてせいぜい小学校2年生まで。
3年生とかになってくると、みんな自我が芽生えはじめて
「あいつうざいけど怖いからほっとこう」
ってなって行き、気づいたらみんなそれとなく離れていって、
僕はどことなく距離を置かれ、孤立してました。
でも、どうやって周りと付き合ってったらいいのか分からなかったんですよね。
しかし中2の当時、BOOWYってバンドが本当に凄くて
「ボーイが好き=カッコいい」みたいな風潮もあり
悪い男があこがれる象徴として、BOOWYが好きだというと
「イケてるよね俺ら」
みたいな奴らと仲良くなれたんです。
で、最初はそう言っとけば友達が出来るから言ってただけでしたが
ある日ビデオ借りて家で見たら衝撃を受けました。
氷室京介ってカリスマがいて、その横で布袋さんが踊るようにギターを弾いてて。
憧れて、近づきたくて、まねをしたくなって。
サッカー部だったんですがサッカーの練習がはじまる前に
体育倉庫に集まってボーイの曲をラジカセで流して
ホウキでギターのまねをしたりリレーのやつでマットを叩く
みたいなんで遊ぶ中、ある日友達の1人が言うわけです。
「兄貴がギター持ってるから」
そこからだんだん楽器に触れはじめ、冒頭の話に繋がって行くんです。
音楽が社会との接点になった。
それが今は貿易になった。
つまり音楽も貿易も、僕にとっては根本的には同じで
皆さんとコミュニケーションをとるための手段なんです。
だから、皆さんと海外の展示会に行って「ひとり貿易」を
お手伝いするプロセスが、本当に楽しいんです。
私は、周りとコミュニケーションが取れない少年だった。
バンドが好きだって言うので友達と話が出来て
ギターを持ってバンド組んだことで
コミュニケーションがとれてって「すごいね」って言われた。
今は、貿易を自分でやったり教えたりすることで
世の中と関わってる。
本当にこれが嬉しいし、ずっとずっとやって行きたい・・・!
そんな幸せをくれるこの世界の全てに、心から感謝ですね。